もう十五年以上前の映画だが、最近マイノリティ・リポートを見たので、感想を残したいと思う。
1. あらすじ
西暦2054年、アメリカ合衆国ワシントンD.C.での殺人発生率は0%を記録した。
これは、3人のプリコグと呼ばれる予知能力者によって構築される殺人予知システム及びシステムを有する犯罪予防局によって、殺人容疑者を事件の発生前に逮捕し、未然に防ぐためである。
主人公のジョン・アンダートンは犯罪予防局に所属する刑事で、彼の息子がさらわれた経緯から犯罪予防の職務にのめり込んでいく。
そんな職務をこなすある日、司法局から視察のために調査官ダニー・ウィットワーが現れる。
ウィットワー調査官が視察を行っている中、プリコグの一人”アガサ”が2つのイメージを見せる。
1つは、アン・ライブリーが殺害されるというもの、
これは、過去に予知されたもので、事件は既に解決されている。
この現象は”エコー”と呼ばれるもので、プリコグが過去を追体験することで発生するものと考えられている。
これに疑問をもったジョンはアン・ライブリーの事件を再度調査するがアガサの予知だけ、削除されており、アンもその後行方不明になっていたため、さらに疑惑を深めた。
もう1つのイメージは、ジョンが見ず知らずの男を殺害するという予知で、これによりジョンは犯罪予防局から追われることとなる。
真相を探し求めるジョンは予知システムの設計者であるハイネマン博士を訪ねる。
博士によると、予知システムは完璧ではなく、稀に3人のイメージが一致しないことがあり、一致しない予知をマイノリティ・リポートとして、局関係者の判断で削除する場合があるということだった。
削除されたリポートは、プリコグの中にのみ保存されていることを知ったジョンは、自身の殺害に関するマイノリティ・リポートがを探すために、局に戻り、アガサを連れ出すことに成功する。
アガサの脳内のイメージを見たジョンだが、アガサの中にはマイノリティ・リポートはなく、すでに明かされているイメージのみだった。
真相を確かめるべく自分により殺害されると予知された男の元へ赴くジョン。
男の部屋で見たものは、大量の子供の写真とそこに交じる誘拐された息子の写真だった。
アガサの制止も虚しく、銃を突きつけ男に迫るジョン。
すると、男は、確かにジョンの息子は自分が殺害したのだと白状をした。
怒り狂い男に向け銃を発砲しようとするジョンだったが、辛うじて踏みとどまる。
ジョンが男を逮捕しようとすると、男が一転して焦り始める。
男は、自分が殺されないと家族に金が渡らないといい、無理やりジョンに自分を撃たせた。
何者かが、男にジョンから殺されるように仕向けたのだ。
ジョンを追っていたウィットワー調査官は、現場の不可解さやアガサが見せたアン・ライブリーのイメージが過去の映像と微妙に異なることからある推理をたてる。
それは、
①アン・ライブリーの殺害を企むものが誰かを雇い、彼女を殺させようとする。
②プリコブはこれを予知し、雇われたものは犯罪予防局に捕らえられる。
③犯人はプリコグが予知した状況を再現し、彼女を殺害する。
と言うものだ。
これを実現するには、2度めの予知をエコーとして処理する必要があり、
それができる局内部の人間による犯行である可能性が高いと睨んだウィットワー調査官は、この推理をバージェス局長に伝える。
しかし、ウィットワー調査官は突如バージェス局長に銃で撃たれてしまう。
バージェス局長こそアン・ライブリー殺害の犯人であったのである。
この時、プリコグであるアガサがジョンにより拐われていたため、予知システムが機能しておらず、ウィットワー調査官の殺害が予知されることはなかった。
ウィットワー調査官の殺害をジョンになすりつけ、予知システムの全国導入を記念したパーティーに出席したバージェス局長であったが、そこでアガサの脳内から真のアン・ライブリー殺害事件のデータを入手したジョンにより彼の犯行が暴かれてしまう。
ジョンを追い詰め、銃を突きつけるバージェス局長であったが、そこで、バージェス局長がジョンを射殺するというプリコグの予知があったことが伝えられる。
予知通りに彼を撃つとと自身が投獄され、逆に撃たないと予知システムの不完全さが証明されてしまうということに思い至ったバージェス局長は、自ら命を絶つ。
この事件の後、犯罪予防局は解体され、予知システムも廃止されるといったことでこの物語の幕が降りる。
2. 感想
“アンドロイドは電気羊の夢を見るのか”、”トータル・リコール”の作者であるフィリップ・K・ディック原作のマイノリティ・リポートだったが、ガラス張りのディスプレイや飛空艇、オートメーション化された自動車工場とやはり彼の描く未来はとても心が踊らせれる。
話の構成としては、プリコグの予知による殺人の禁止というルールを如何にしてくぐり抜けるかを話の中心においている。
このように、独自のルールを設定して、そのルールが適用された世界ではどのようなことが起こるのか、また、そのルールはどういったところに欠陥を抱えているのかを描く手法はアイザック・アシモフの”われはロボット”を彷彿とさせる。
作中では、同じ状況を2度作り、犯罪予防局にプリコグの2度目の予知をエコーと勘違いさせることでバージェス局長は計画を達成していた。
まあ、2度目の犯行をバージェス局長自身が行う必要はなかったとは思うが、、
事実、それが原因でバージェス局長が犯行を犯す映像が公開され、自身の身を滅ぼしている。
2度目の犯行も殺し屋を使っていれば、仮に映像が公開されていも、嫌疑がかけられるだけで、予知システムの不完全さを露呈するだけで済んだはずである。
しかも、このシステムの不完全さは別に致命的な欠陥ではない。
本当の致命的な欠陥は、予知の不一致、すなわち”マイノリティ・リポート”が存在することなので、エコーによる似た状況での殺人の判別が難解というのは、今後の修正案件である。
そもそも、バージェス局長は、そんな面倒なことをせずに、単純にアン・ライブリーをプリコグの予知範囲外であるワシントンDCの外に連れ出すべきだったとは思うが。
プリコグの予知では、犯行時の断片的な映像、加害者と被害者の名前、犯行発生時間が判明する。
“なぜ名前や時間がわかるのに、場所だけわからないんだ。そこが一番重要だろ。”と、ツッコミをいれたくなるが、そういうものらしいから仕方がない。
作中でも、場所の特定に難儀していた。
断片的な映像から、犯行場所を割り出していたが、2054年にもなって、未だに人力なのは驚きだ。
Google map のストリートビュー等に馴染みのある私達からしたら、画像処理技術を使って、地図上からある程度似た地形を推定できるのでは、と思ってしまうが、
マイノリティ・リポートの公開年が2002年なので、その当時はまだそういった考えは浸透していなかったのかもしれない。
3. さいごに
長々と感想を書いてみたが、どうもツッコミが多くなってしまった。
私は映画を見るときは、登場人物がどう動くのが良かったのかという視点で見てしまうので、こういったツッコミがどうしても多くなってしまう。
しかしながら、本作”マイノリティ・リポート”はストーリーやテーマがわかりやすく、SFに興味のある人が見始めるにはいい作品かもしれない。
マイノリティ・リポートにはドラマ版の続編が存在するらしいので、機会があったら見てみようと思う。